知立神社

神聖な場所(神社等)

先ずは動画からどうぞ!

【知立神社(愛知県知立市)】

大鳥居からの参拝

知立神社南交差点より入ります。大鳥居駐車場が見えます】
【手水舎】
【先ずは身を清めます】
【龍神像の後ろ姿が素敵です】
【休憩所と神池の間を通ります】
神池石橋(知立市指定文化財)】

知立神社(愛知県知立市)ってどんな神社?

知立神社は、鸕鶿草葺不合尊(ウガヤフキアエズノミコト) を主祭神として、彦火火出見尊(山幸彦)玉依比売命神日本磐余彦尊(神武天皇)の四神を祀る神社で、式内社、三河国二宮で、旧社格は県社。近世、「池鯉鮒大明神」と称され、熱田神宮・三嶋大社と並び「東海道三社」の1つに数えられていました。

【神社名】知立神社
(チリュウジンジャ/チリフジンジャ)

【鎮座地】愛知県知立市西町神田12


【御祭神】
*鸕鶿草葺不合尊【▶︎鸕鶿草葺不合尊ってどんな神様なの?参考】
*彦火火出見尊【▶︎火折尊ってどんな神様なの?参考】
*玉依比売命【▶︎玉依毘売命ってどんな神様なの?参考】
*神日本磐余彦尊【▶︎玉依毘売命の御子ってどんな神様なの?参考】

【相殿】青海首命(アオミノオビトノミコト[碧海地方開拓の祖神])と聖徳太子
【例祭日】 5月3日(元旧暦4月3日)

【由緒】
當(トウ)神社は池鯉鮒大明神(チリュウダイミョウジン)とも称え奉り、延喜式の古大社であって、第十二代景行天皇の御宇皇子日本武尊の東国平定の行路、此の地に於て皇祖建国の鴻業(コウギョウ)を仰いで国運の発展を祈願し給い、御帰途(キト)奉賽(ホウサイ)のため創建あらせられしと云う。
延喜撰格(センカク)の際は官社に列し、歴朝(レキチョウ)或(アルイ)は神階を奉られ或(アルイ)は昇叙せられて、元寇(ゲンコウ)襲来に際して異国調伏の勅願(チョクガン)あり、
明治元年明治天皇御東幸(東京行幸)の際に勅使を差遣(サケン)して国運の発展を祈願し給う等、古来朝廷の御崇敬厚く、又歴代各藩主も或は土地を献(ケン)じ或は社殿を造営し或は神饌(シンセン)幣帛(ヘイハク)を献ずる等夫々(ソレゾレ)赤誠を捧げた。
又衆庶(シュウショ)の崇敬も厚く、古来より蝮(マムシ)除け雨乞い安産等の御霊験を以て全国に聞え、
御分社は県内は固(モト)より遠く関東関西に亘(メグ)って所々に奉祀せられ、崇敬者は全国に散在してその数を知り難い。
又當社は弘法大師の崇敬(スウケイ)殊(コト)に厚く、三河三弘法巡拝者の必ず當社に詣ずるは蓋(ケダ)し大師の敬神の精神を体する ものである。
【※大鳥居前立て看板より出典】

この神社には他にもこんな神様が

親母神社 (ウバガミシャ)[摂社]

【親母神社】

【御祭神】豊玉毘売命(安産の神) 【▶︎豊玉毘売命ってどんな神様なの?参考】
社殿は国の登録有形文化財に登録されています。


土御前社 (ツチノゴゼンシャ)[摂社]

【土御前社】

【御祭神】吉備武彦命(キビタケヒコノミコト)
知立神社創建に奉行として携わったとされています。


合祀殿[末社]

【合祀殿】

【御祭神】天照皇大神ほか【▶︎天照皇大神ってどんな神様なの?参考】

小山天神社(コヤマテンジンシャ)[末社]

【小山天神社】

【御祭神】少彦名命(医薬、醸造の神) 【▶︎少名毘古那神ってどんな神様なの?参考】

秋葉社[末社]

【秋葉社】

【御祭神】火之夜芸速男神(ヒノヤギハヤオノカミ)火伏の神【▶︎火之迦具土神ってどんな神様なの?参考】

この神社には他にも…

【知立神社多宝塔(国の重要文化財)】
【多宝塔前の立て看板】
【トネリコ(知立市指定天然記念物)】
【トネリコ前の立て看板】
【知立花菖蒲苑入り口】
【知立公園花菖蒲苑前の立て看板】
【知立神社パンフレットより出典】

駐車場あるの

参拝及びご祈祷利用者専用無料 🅿️があります。
※お正月や祭事等イベント時の駐車場利用は、通常と異なる場合があるので、事前にご確認頂きますようお願い致します。

【社務所前の車両御祓所】


※交通安全祈願(車祓)は、大鳥居より境内に入った所の社務所前にある車両御祓所にて行われます。ご利用の方はご確認お願いします。

お手洗いは?

【お手洗い】

🌟管理されていて、気持ち良く利用出来きました。感謝です!(奥に「養正館」があります。明治19年に明治用水連合水利土功会の事務所として建てられた県下でも珍しい洋風建物です)

そもそも鸕鶿草葺不合尊ってどんな神様なの?

鸕鶿草葺不合尊(ウガヤフキアワセズノミコト、ウガヤフキアエズノミコト)は、日本神話の神で、地神五代の5代目、日向三代の3代目であり、神武天皇の父親です。

『古事記』では、天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(アマツヒコヒコナギサタケウガヤフキアエズノミコト) と表記され、『日本書紀』や『先代旧事本紀』では、彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊(ヒコナギサタケウガヤフキアエズノミコト)と表記されています。

父は、彦火火出見尊(火折尊、山幸彦)、母は豊玉姫(豊玉毘売)で、叔母の玉依姫との間に彦五瀬命・稲飯命・三毛入野命・彦火火出見尊(神武天皇)がお生まれになられています。(※父と末子は同名の彦火火出見尊)

『日本書紀』によれば、鸕鶿草葺不合尊が誕生された産屋の屋根は、茅葺(カヤブキ)のかわりに鸕鶿(ウ)の羽を草(カヤ)として葺(フ)かれていましたが、
屋根の頂上部分をいまだふき合わせないうちに生まれ…草(カヤ)につつまれ波瀲(ナギサ)に置かれました。
これにより、母親の豊玉姫が「彦波瀲武鸕鶿草葺不合(ヒコナギサタケウカヤフキアエズ)」と名付けたとされています。

また、鵜戸神宮(宮崎県日南市)は鸕鶿草葺不合尊生誕時の産屋の跡と伝えられています。

事績は『日本書紀』『古事記』ともに記載がなく、
崩御された地は「西州之宮(ニシノクニノミヤ)」、埋葬地は「日向の吾平山上陵(アヒラノヤマノエノミササギ)」と『日本書紀』に記載があるもの、その埋葬地の伝承は南九州各地にあるそうです。
現在は、鹿児島県鹿屋市の吾平町上名にある皇族陵が、吾平山上陵(鵜戸山の「鵜戸の窟」内の2つの塚)に治定され(1874年(明治7年)宮内省により)、可愛山陵・高屋山上陵と合わせて「神代三陵(神代三山陵)」と総称され知られています。

※1896年(明治29年) 明治政府により鵜戸神宮背後の速日峯山上が「御陵墓伝説地吾平山上陵」の参考地(現在「鵜戸陵墓参考地」) とされた他に、宮崎県西臼杵郡高千穂町とする説もあるそうです。
※『ウエツフミ』『竹内文献』『神伝上代天皇紀』などの古史古伝に記載されている神武天皇以前の鵜萱葺不合命が開いた古代王朝をウガヤフキアエズ王朝というそうです

【▶︎ウガヤフキアエズ-Wikipedia引用】
YouTube【まほろばチャンネル】▶古事記10にウガヤフキアエズのことがあります。

関連動画▶️はコチラ▶︎ 制作予定です

そもそも火折尊ってどんな神様なの?

火折尊(ホノオリノミコト)火遠理命(ホオリノミコト)、あるいは彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)は、日本神話に登場する神で、地神五代の4代目、日向三代の2代目であり、神武天皇(初代天皇)の祖父です。「山幸彦」として知られています。

『古事記』では、
火遠理命(ホオリノミコト)
天津日高日子穂穂手見命(アマツヒコヒコホホデミノミコト)と表記され、

『日本書紀』では、
彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)
火折尊(ホノオリノミコト)
火折彦火火出見尊(ホノオリヒコホホデミノミコト)と表記されています。

父は邇邇藝命(瓊瓊杵尊)[ニニギノミコト]、母は木花之佐久夜毘売(コノハナノサクヤビメ)で、

豊玉毘売(豊玉姫)[トヨタマビメ[トヨタマヒメ]との間に、
天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊)[アマツヒコヒコナギサタケウガヤフキアエズノミコト[ヒコナギサタケウガヤフキアエズノミコト]がお生まれになられています。

ニニギノミコトとコノハナノサクヤビメの子(兄弟)は、
『古事記』では、
第一子が火照命(ホデリノミコト[海幸彦])
第二子が火須勢理命(ホスセリノミコト)、
第三子が火遠理命(ホオリノミコト[山幸彦])とあり、
『日本書紀』の本文では、
第一子が火闌降命(ホスソリノミコト[海幸彦])
第二子が彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト[山幸彦])
第三子が火明命(ホアカリノミコト)となっています。
※一書では海幸彦が火酢芹命(ホスセリノミコト)、山幸彦が彦火火出見尊(火折尊)

『古事記』の「海佐知毘古と山佐知毘古」の話では…
火照命(ホデリノミコト)は海佐知毘古(ウミサチビコ)(漁師)として大小の魚をとり、火遠理命(ホオリノミコト)は山佐知毘古(ヤマサチビコ)(猟師)として大小の獣をとっていました。  

ある日、弟・火遠理命の提案で、兄弟は互いの道具を少しの間だけ交換することにしました。

火遠理命は、魚釣りに出掛けたが釣れず…兄に借りた釣針(海佐知)を失くしてしまいます。
火遠理命が釣針をなくしたと告げると、火照命は「返せ」と火遠理命を責め取り立て、元の釣針以外受け取りませんでした。

火遠理命が困り果てていた所、塩椎神(シオツチノカミ(潮流の神)に、小舟に乗り「綿津見神(ワタツミノカミ(海神)の宮殿」へ行くよう教えられ、赴くことに…
そして、火遠理命は宮殿の海神に歓迎され、娘・豊玉毘売(トヨタマビメ)と結婚しました。

海神の宮殿で楽しく暮らすうちに月日は経っていき、三年が経った頃、火遠理命はここに来た理由を思い出し、地上へ帰ることになります。

海神は、釣針と鹽盈珠(シオミチノタマ)と鹽乾珠(シオヒノタマ)を火遠理命に差し出し「この釣針を兄に返す時『この針は、おぼ針、すす針、貧針、うる針』と言いながら手を後に回して渡しなさい。兄が高い土地に田を作ったらあなたは低い土地に、兄が低い土地に田を作ったらあなたは高い土地に田を作りなさい。兄が攻めて来たら鹽盈珠で溺れさせ、苦しんで許しを請うてきたら鹽乾珠で助けなさい」と言われ…
和邇(ワニ/ここでは短い龍)に火遠理命を乗せて地上へ送くらせました。その和邇は今は佐比持神(サイモチノカミ)といいます。

火遠理命は海神に言われた通りに釣針を返し、言われた通りに田を作りました。そして、火照命が攻めて来たので、鹽盈珠で溺れさせ、苦しんで許しを請うてきたら鹽乾珠で救うといったことを繰り返し…こらしめ、火遠理命は、火照命に忠誠を誓わせました。

豊玉毘売は、海宮で懐妊したが「天神の子を海の中で産むわけにはいかない」として、火遠理命を訪ねてきました。

浜辺に産屋を作ることになったが、茅草がわりの鵜の羽を葺き終えないうちに産気づいたため、豊玉毘売は、「子を産む時には本来の姿で産もうと思うので、絶対に産屋の中を見ないように」と火遠理命に言い、産屋に入りました。

火遠理命はその言葉を不思議に思い産屋の中を覗いてしまい、八尋和邇(ヤヒロワニ) に姿を変えた豊玉毘売を見て恐れて逃げ出しました。

豊玉毘売は、火遠理命に覗かれたことを恥じて、生まれた子を置いて海に帰ってしまいます。
そのとき生まれた御子は天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命と言います。

その後、火遠理命が覗いたことを恨みながらも、御子を養育するために妹・玉依毘賣を遣わし、託した歌を差し上げ、互いに歌を詠み交わしました…とあります。

「海幸山幸」の神話の詳細はコチラ【▶︎山幸彦と海幸彦-Wikipedia引用】

『古事記』では、高千穂宮に580年居住し、高千穂山の西に葬られたとされまた、一方『日本書紀』では、久しくして崩じ日向の高屋山上陵に葬られたとされています

『古事記』に火遠理命の宮として高千穂宮の記載があります。(※鹿児島神宮(鹿児島県霧島市)はこの高千穂宮の跡地と伝えられ、青島神社(宮崎県宮崎市)もまた火折尊の宮の跡と伝えられています)

埋葬地の伝承は南九州各地にあるが、『古事記』の「高千穂山の西」という記述に基づき、「高千穂山」を高千穂峰とみなし、鹿児島県霧島市溝辺町麓字菅ノ口の円墳が「高屋山上陵(タカヤノヤマノエノミササギ)」に治定され(1874年(明治7年)宮内省により)可愛山陵・吾平山上陵と合わせて「神代三陵(神代三山陵)」と総称され知られています。

※他に宮崎県高千穂町内の古墳、鹿児島県肝付町の国見山、鹿児島県南さつま市の野間岳、宮崎県宮崎市村角町の高屋神社なども彦火火出見尊の神陵という伝承があるそうです。

【▶︎ホオリ-Wikipedia引用】
YouTube【まほろばチャンネル】▶古事記8・9・10に火遠理命(ホオリノミコト)のことがあります。

関連動画▶️はコチラ▶︎ 制作予定です

そもそも豊玉毘売命ってどんな神様なの?

豊玉毘売命(トヨタマビメノミコト)または豊玉姫(トヨタマヒメ)は、日本神話に登場する女神で、神武天皇(初代天皇)の父方の祖母、母方の伯母として知られています。

『古事記』では豊玉毘売、豊玉毘売命と表記され、『日本書紀』では豊玉姫と表記されています。

海神(大綿津見神)の娘で、竜宮に住み…真の姿は八尋和邇(ヤヒロワニ) で、その名から「豊かな玉に神霊が依り憑く巫女」と考えられています。

火遠理命(火折尊あるいは彦火火出見尊)との間に、天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊)[アマツヒコヒコナギサタケウガヤフキアエズノミコト[ヒコナギサタケウガヤフキアエズノミコト]がお生まれになられています。
豊玉毘売命(豊玉姫)は出産後、御子を置いて去ってしまわれますが、妹の玉依毘売命(玉依姫)が、その御子を養い、のちに妃となり四子を生んだとされています。
四男の若御毛沼命(神日本磐余彦尊)は、のちの神武天皇です。

『日本書紀』においては、豊玉姫は海神の宮にやってきた火折尊と結婚し、その宮で3年間住んだが、火折尊が故郷のことをおもってなげくのを聞いた豊玉姫は、自らの父である海神に言い、海神は火折尊に助言を与え、故郷に帰します。

帰ろうとする火折尊に、豊玉姫は「妾已に娠めり。当に産まんとき久しからじ。妾必ず風濤急峻の日を以て海浜に出で到らん。請う我が為に産室を作りて相い持ちたまえ」といい…その後、豊玉姫は約束の通り、妹の玉依姫を従えて海辺まで訪ねてきます。
出産に望んで、豊玉姫は火折尊に「妾産む時に幸わくはな看ましそ」と請うたが、火折尊は我慢できず、ひそかに盗み見てしまいます。
出産の時、豊玉姫はヤヒロワニとなっており、腹這い、蛇のようにうねっていました。
豊玉姫は恥じて、「如し我を辱しめざるならば、則ち海陸相通わしめて、永く隔て絶つこと無からまじ。今既に辱みつ。将に何を以て親昵なる情を結ばんや」と言い、子を草でつつんで海辺に置き…海途を閉じて去ります。
このことから子を彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊と名付けたとあります。

※「海幸山幸」の神話の詳細及び『古事記』の「海佐知毘古と山佐知毘古」の話はコチラから【▶︎火折尊ってどんな神様なの?参考】

【▶︎トヨタマヒメ-Wikipedia引用】
YouTube【まほろばチャンネル】▶古事記9・10にトヨタマヒメのことがあります。

関連動画▶️はコチラ▶︎ 制作予定です

そもそも玉依毘売命ってどんな神様なの?

玉依毘売命(タマヨリビメノミコト)または玉依姫(タマヨリヒメ)は、日本神話に登場する女神で、神武天皇(初代天皇)の母として知られています。

『古事記』では玉依毘売、玉依毘売命と表記され、『日本書紀』では玉依姫と表記されています。

「神霊が依り憑く巫女」と考えられこの名前を持つ者は神と通婚する巫女的神性を持つとされています。
玉依毘売の御子は、「五瀬命(厳稲の命)」「稲氷命(稲霊の命)」「御毛沼命(御食主の命)」「若御毛沼命(若御食主の命)」ですから、特に穀霊を依り憑かせる巫女であったと考えられています

『記紀』によれば、父は大綿津見神で、母に関する記載はなく…
姉の豊玉毘売命(豊玉姫)の子である天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊)との間に四子をお生みになられました。
豊玉毘売命(豊玉姫)は出産後、御子を置いて去ってしまわれますが、妹の玉依毘売命(玉依姫)は、その御子を養い、のちに妃となり四子を生んだとされています。
また、『先代旧事本紀』では、玉依姫命と火折尊との間に武位起命が生まれ、その後に玉依姫命は自らが養った鸕鶿草葺不合尊の妃となり、四子を生んだといわれています。

宮浦神社(宮崎県日南市)は玉依姫の住居跡といわれており、宮崎県日南市に玉依姫の陵墓であると伝えられる場所があるそうです。
龍口明神社では龍神を束ねる海神族の祖先とされ、また姫自身も龍神として崇められています。

【▶︎タマヨリビメ(日向神話)-Wikipedia引用】
YouTube【まほろばチャンネル】▶古事記10に玉依毘売命のことがあります。

関連動画▶️はコチラ▶︎ 制作予定です

そもそも玉依毘売命の御子ってどんな神様なの?

五瀬命

五瀬命(イツセノミコト) は『古事記』表記名で、『日本書紀』では、彦五瀬命(ヒコイツセノミコト) 、五瀬命と表記されています。
『古事記』では「神武東征(ジンムトウセイ)」の際、長髄彦(賊)の矢にあたり…のちに傷が悪化し紀国男之水門で亡くなったとされています。
※『日本書紀』では、紀国竈山で亡くなり、竈山に墓が築かれたといわれています。

【▶︎彦五瀬命-Wikipedia引用】

関連動画▶️はコチラ▶︎ 制作予定です

稲氷命

稲氷命(イヒナノミコト)は『古事記』表記名で、『日本書紀』では、稲飯命(イナイノミコト) 、彦稲飯命と表記されています。
「神武東征(ジンムトウセイ)」の熊野で暴風に遭い、海が荒れ進軍が阻まれた際、剣を抜いて海に入って行き「鋤持(サイモチ)の神」になったとされています。
※『古事記』では、妣国(母の国)である海原へ入り坐したと記されています。

【▶︎稲飯命-Wikipedia引用】

御毛沼命

御毛沼命(ミケヌノミコト)は『古事記』表記名で、『日本書紀』では、三毛入野命(ミケイリノノミコト) 三毛野命、稚三毛野命と表記されています。
「神武東征(ジンムトウセイ)」の際の熊野で暴風に遭い、海が荒れ進軍が阻まれることに憤慨し、波頭を踏み、常世に行った(『古事記』では「常世の国に渡った」)とされています。
また、悪神「鬼八(キハチ)」を退治し高千穂の地を治めたとの伝承もあります。

【▶︎三毛入野命-Wikipedia引用】

若御毛沼命

若御毛沼命(ワカミケヌノミコト)は、『古事記』の表記名で、神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレビコノミコト) 、豊御毛沼命(トヨミケヌノミコト)とも表記され…
『日本書紀』では、神日本磐余彦天皇(カンヤマトイワレビコノスメラミコト) 、神日本磐余彦尊(カムヤマトイワレビコノミコト) 、神日本磐余彦火火出見尊(カンヤマトイワレビコホホデミノミコト)、彦火火出見、狭野尊、磐余彦火々出見尊、磐余彦尊(イワレビコノミコト)、磐余彦帝、始馭天下之天皇などの表記名があります。
のちの神武天皇で、初代天皇の位についたという一連の説話「神武東征(ジンムトウセイ)」でよく知られています。

【▶︎神武天皇-Wikipedia引用】
【▶︎神武東征-Wikipedia引用】
YouTube【まほろばチャンネル】▶古事記10と神武天皇一代記 古事記・日本書紀「神武東征」に、このことがあります。

関連動画▶️はコチラ▶︎ 制作予定です

オススメの神社参拝方法

神前で、『大祓詞』か『天津祝詞』を唱えてから神様に御願い申し上げることをオススメしています。其れについてのblog記事(投稿)があります。覗いて見て頂けると嬉しいです。

神社情報(交通アクセス)

車で

北東方向に国道155号(一方通行)を進んで「知立神社南」の信号より西町7号線経由で境内駐車場へ入れます。

電車で

名古屋鉄道名古屋本線「知立駅」より徒歩で約12分。

バスで

市内路線バス『ミニバス』の知立駅発1コース(グリーンコース)にて「いわせ外科クリニック」下車し徒歩で約5分。

まとめ

知立神社には、主祭神の鸕鶿草葺不合尊(ウガヤフキアエズノミコト) と…
父神の彦火火出見尊(山幸彦)育て親の母であり妻の玉依比売命、そして息子の神日本磐余彦尊(神武天皇)の四神が祀られており…
摂社の親母神社には、実母の豊玉毘売命(安産の神) が祀られています。

三河國の中で最も社格の高い神社の「砥鹿神社」に次ぐ神社(二宮)として崇敬されています。
また、江戸時代には「池鯉鮒大明神」と称され、熱田神宮・三嶋大社と並び「東海道三社」の1つに数えられていたほどで、

蝮除け・長虫除け・雨乞・安産願の御神徳が霊験あらたかであるとの仰が広まり関東から中国地方にわたり広く御分社御分霊が勧請され信仰されました。特に神札を身につければ蝮蛇に咬まれないとされる「お札」が人気があったそうです。【▶︎知立神社-Wikipedia引用】
これを機に「一宮参拝」に続き「二宮参拝」もご検討されてみてはどうでしょう🥰

オススメの動画(YouTube )

この動画がとても気に入ってます。わかりやすくて面白い!聞き流しとしても、いいですよ。是非、ご視聴ください。

【まほろばチャンネル】古事記8~天孫降臨~

《後半に火照命と火遠理命がお生まれになります》

【まほろばチャンネル】古事記9~海幸彦と山幸彦~

《火照命(海佐知毘古)と火遠理命(山佐知毘古)の兄弟喧嘩からの 豊玉毘売命との出会い…》

【まほろばチャンネル】古事記10~ウガヤフキアエズの命~

《鸕鶿草葺不合尊の出生…父となる火遠理命と 母となる豊玉毘売命…そして育て親であり妻の玉依毘売命と御子たち》

【まほろばチャンネル】神武天皇一代記 古事記・日本書紀「神武東征」~

《四子の活躍と…のちの神武天皇が初代天皇の位についたという一連の説話「神武東征」がわかりやすいです。》

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